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越佐こだわり通信

「にいがたを元気にしたい!!」経営者二年生の管理人が、日々の行動の中から感じた「にいがたの素晴らしさ、素晴らしい人、素晴らしい商品、サービス」をお伝えしています
091108天地人ゆかりの地船江神社天地人のぼり
091108天地人ゆかりの地船江神社紅葉入り
091108天地人ゆかりの地船江神社鳥居

白山神社より「カミフル町」を下へ下っていく途中に天地人ののぼりが立っています。
こんな町の中に神社が建っていました。
天正十九年(1591)に上杉家家臣の直江兼続より社地を賜ったという記録があり、直江兼続の真筆「高天ケ原」の額を蔵しているそうです。

こんな近くにもゆかりの地があり、きっと白山神社の中にあった新潟城での新発田重家との戦いの際に訪れたのではないかと推測をして見ました。


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091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社大けや木
091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社本堂正面

旧小出町にある神社です。
兼続公とお船らか゜立ち寄った様子が小説「天地人」に描かれているそうです。
素晴らしい大けや木の古木が立ち並んでいます。

091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社ね越し石

この石は、「丹後跳ね越しの石」です。
 慶長五年(一六〇〇)八月二日、上杉遺民一揆の戦乱に下倉山城を守る城将小倉主膳の苦戦を救おうと、六日町の坂戸城から堀丹後守直竒が援軍を率いて駆けつけたそうです。
その時の破間川原の激戦中、丹後守は大石に身を寄せ、鉄砲で自分をねらい撃とうとしている敵兵を発見、真正面から立ち向かい、平安城という名槍を投げつけたそうです。
その時、同時に敵が発砲、丹後守の馬は大石の直前で竿立ちになり、石と敵兵を一跨ぎに
跳ね越した。
間一髪で敵弾はそれ、槍は敵の胸板を貫いて穂先は土に突き刺さった。
 のちに丹後守は村上十万石の領主となり、参勤交代の往き帰りに、「この石は、わしの命を救ってくれた石じゃ」と懐かしみ、馬で跳び越えてみるなどしたそうです。
 
時代は下って元禄の頃、丹後守の子孫堀左京亮が、先祖のほまれを刻むこの石を身近に置きたいと、運び出そうとして時、四日町の村人は、「この石は『丹後跳ね越しの石』と申しまして、馬の病気を治してくれる大切な石ですから、持ち出さないで下さい」
 と願いました。
その頃村人は丹後守をその法名「鉄団宗釘大居士」からとって「鉄団様」と呼んでいたが、この石のくぼみに大豆を入れて水に浸し、「南無、鉄団様、跳ね越し給え」
 と柏手を打って祈り、一晩おいて馬に食べさせると病気が治ったそうです。
子供の夜尿にも同様のまじないが行われてきた。
「そのような大切な石なら、川原に置いて洪水に流されでもしたら大変じゃ。神社の境内に運んで置け」 という堀左京亮の指示で境内に運ばれ、大切にされてきたものだそうです。


091103天地人ゆかりの地十日町松代城天守閣

関東へ通じる松之山街道を監視する役割を果たしていたお城です。
現在は公園になっていてキャンプ場としも楽しめる場所です。
また「大地の芸術際」で中も装飾されていました。

091103天地人ゆかりの地十日町松代城の中アート

091103天地人ゆかりの地十日町松代城址までの上り道
091103天地人ゆかりの地十日町松代城天守閣からの展望

11/3に行ってので紅葉と雪のコントラストが大変綺麗でした。

091103天地人ゆかりの地十日町松代城駐車場の石像

駐車場から2~3分ぐらい天守閣まで登るのですが、駐車場にあった石像です。
大変和みました。

091101天地人ゆかりの地 西蒲区 種月寺山門
091101天地人ゆかりの地 西蒲区 種月寺本堂

新潟市(旧岩室村)にある曹洞宗のお寺です。
1446年(文安3年)に守護代の上杉房朝の援助に建立され、この地の豪族小国氏の加護を受けて栄えたそうです。
村上の耕雲寺、村松の慈光寺、魚沼の雲洞庵と並び、曹洞宗越後四箇道場の一つとして知られて
います。
本堂は平成元年に国の重要文化財に指定された茅葺の屋根です。
091103天地人ゆかりの地西蒲原種月寺火防石

このバンフの写真は火防石と言い、この地に住んでいた竜神から授かったとされる石であり、
ある時、石から煙が上がっているの見つけた住職が、水を掛けたところその煙は消え、中国のお寺が火災を免れたと言う伝説があそうです。
以降その石は火防石(かぼうせき)と呼ばれ、火伏にご利益があると言われるようになったそうです。

当日はご住職のはからいで実物を見せて頂き、お茶までご馳走になりました。
大変気さくな方で楽しいお話を聞かせていただきました。
また紅葉の紅くなる時期に行ってみたい場所です。


091101天地人ゆかりの地 西蒲区巻館跡

種月寺より車で10分弱走った旧巻町の中にある巻館跡です。
現在はセブンイレブンの駐車場ですが、しっかりと看板が立っています。

天神山城主の家臣である西山庄佐衛門の居城であったそうです。
景勝公が会津に国替えになった時に大国実頼と、その家臣団も従った為、廃止されたと伝えられているそうです。

歴史の重みと現代の象徴がアンマッチで良い感じです。
だれがこの時代にコンビニになるとは予測したでしょうか。
とても感慨深いものがありました。

09102天地人ゆかりの地新発田安楽寺正面
09102天地人ゆかりの地新発田安楽寺中庭

新発田市の五十公野城址近くにある真言宗のお寺です。

兼続に攻められた五十公野道如斎は新発田重家の娘婿であり、五十公野城落城とともに夫妻は自決したと伝えられています。

この寺には、奥方が着用したとされている女鎧(かぶと)が残されているそうです。
この鎧は非公開です。
写真のように寺の構内には中庭があり、池もあり心を和ませてくれます。

この奥方はどんな気持ちで上杉勢と戦ったのでしょうか。
きっと父親である重家公の血の1部が、そうさせたのは事実ですが、奥方で鎧そのものが残されている方も大変珍しい例だと思います。

父親のどんな教育があったのか、時代背景からして仕方のない事だけだったのか。
ここら辺も今後研究していく予定です。