越佐こだわり通信

「にいがたを元気にしたい!!」経営者二年生の管理人が、日々の行動の中から感じた「にいがたの素晴らしさ、素晴らしい人、素晴らしい商品、サービス」をお伝えしています
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090830堀出神社鳥居正面
090830堀出神社ゆかりの文書

上杉家の家臣である新津氏が神様を建立したと言われている堀出神社です。

090830堀出神社境内正面
090830堀出神社境内ない

境内の中にも、複数の神社があり神様を祭ってあります。
新津の総鎮守として、今日も何名かの参拝者がありました。
またまた我が悲願をお願いして来ました。

090830東島城址看板
ここから車で約5分強走ると、これも新津市がいざと言う場合に居城する東島城跡地です。
新津カントリクラブに行く途中にある史跡です。
今は、入口は藪の中で通路も見当たりませんでした。

歴史の重みと、時代の流れの重みを感じ、新津を後にしました。






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ここ数年、お世話になっている方々に暑中や残暑お見舞いを出していましたが、ある事があり
あえて今年は、出さない事にしました。

それなので、この場を借りてお見舞い申し上げます。

でも今年の夏は暑中や残暑という言葉が当てはまらなく、こういった挨拶を出すのも考えてしまう
夏でした。

個人的には、解れた考えが1つの輪に繋がり、明確になり、方向性が見えてきた夏でした。
プライベートでは、夏の風物詩である長岡、新潟の花火も見れましたし、天地人ゆかりの地(主に揚北衆)を主体に巡る事も出来、オンオフを上手く使い分けられた夏でした。

この夏の間の「仕込み」を実りの秋に実らせ、春には花を咲かせる為、「収穫の秋」に出来るよう
工夫をしていくつもりです。
仕事やプライベートでも、他人とのコミュニケーションは、何よりも大切なファクターです。
自分が期待している事を、相手に要求する場合、「ここまで説明する必要があるのか」と自分で
思うくらいの説明が、必要な場合が多いのです。

「ものさしの基準は相手にある」そんな基準でコミュニケーションをとらないと、お互いの意志は通じません。
ましてやビジネスになると、もっと顕著に現れます。

そしてコミュニケーションを一方的な方法にすると、相手から情報が入らなくなります。
「あの人の前だと、余計な事まで話してしまう」人には、共通して「懐の深さ」があります。
結局そういう人には情報が集まり、判断の材料を豊富に持つ事が出来ます。

相手を受け入れて、相手に合わせた受け入れ体制が取れる。
こんなコミュニケーション能力が大切な時代です。


090827日報朝刊共栄鍛工所記事

今朝の新潟日報の経済面の記事です。
三条市にある共栄鍛工所という会社の社長のコメントを抜粋したいと思います。

今回の選挙での各党のマニュフェストに盛られている「中小企業育成」「経済成長率向上」の政策では、現在の三条の地場産業は救えないとの現場の声があると言う事です。

それでどうするか?

当てに出来ない政治より「自分達で生き残る」工夫をする事が大切だと載っています。

ではどうするか?

ここからは、私の私考ですが

「心当たりを尋ね、自分達の得意な事、出来る事にポイントを絞り、地道に相手に認知してもらう事」
に時間を割くべきだと思います。

そんな出会いの中で、「三人よれば文殊の知恵」ではありませんが、ヒントや気付き、上手くすれば
新規取引に結びつく可能性だってゼロではないはずです。

あまり近すぎて気づかない場合も多いと思います。


がんばれ!!にいがたのモノ作り
○○屋と聞くと、同じ仕事を依頼するにしても、「自分のノウハウ、こだわり、チエックポイント」を持っている人が多いと思います。

○○担当と聞けば、「自分の持ち場のみを着実にこなす」といったイメージを持ちます。
同じ依頼するのであれば、「前後の過程や今までのノウハウを持ち、過程や結果にこだわる○○屋に頼みたい」
思う人も多いはずです。

同じ仕事をするなら、○○屋を目指したいと思います。

事務も一緒で、事務担当ではなく、事務屋を目指すのも面白いはずだと思います。

休み明けのウィークディーは、一週間のスタートダッシュです。

色々な仕事を片付ける場合には、「ちょこちょことつまみ食いをしない」事が、精度高く、しかも早く仕事を処理出来る
方法である事を、再認識しました。

その際のポイントは、「必ず仕事をフィニッシュさせ終わらせる」
自分自身で達成感を感じ、それがリズムとなり、1週間のスケジュールに張りが出てきます。

先手必勝!!

時間は、全ての人に平等に与えられています。

090809三川村平等寺説明看板
090809三川村平等寺本堂から見た薬師堂
090809三川村平等寺薬師堂

阿賀野市の旧三川村にある平等寺です。
ここは平安時代末に平維茂が創立した寺と言われています。
この平家の繁茂が、後の奥山の庄(現胎内市周辺)の豪族の城氏となっています。
上杉家とのゆかりは、「御舘の乱」の際に会津の葦名盛氏の一体が、景虎側に付き、越後に乱入したらしいのですが、景勝勢に追われ、帰国の途中にお堂に立てこもり、墨書をお堂に書いたと伝えられています。

090809三川村平等寺落書き堂看板

これがその落書き堂の説明文です。
現在は、写真でしか現物を見れませんが、以前は出入り自由で開放していたらしく、大分いたずらをされたそうです。

私も、ここで墨で半紙に落書き(願い事)を書いて来ました。
ここは将軍杉でも知られている場所です。

上杉勢に追われ、ここでどんな思いで書いたのでしょうか?
私の書いた「願い」とは違う、「無念」であったかもしれません。
090809史跡新津城址看板
090809新津城址説明看板新津自動車学校バック
現在、新津自動車学校の構内にある史跡跡です。
戦国時代には新津氏13代勝邦の女婿、丹波守勝資(実父山吉政久)が活躍、上杉氏重臣の勇将として川中島合戦のほか新発田重家の乱、小田原征伐、朝鮮出兵などほとんどの合戦に従軍しています。
また、本家金津氏の金津義舊は上杉謙信の養育係として知られているそうです。

景勝の移封に伴い、廃城になったらしいですが、上杉家臣にはめずらしい平城址です。


8/9(日)に行われた新潟まつり花火大会の様子です。
今年も去年と同じ、昭和大橋東詰めの新潟南高校の近くで見てきました。

090809新潟まつり花火大会1
090809新潟まつり花火大会3
090809新潟まつり花火大会4
090809新潟まつり花火大会6
090809新潟まつり花火大会7
090809新潟まつり花火大会8
090809新潟まつり花火大会9

スターマイン関係で比較的に良く撮れている写真です。

090809新潟まつり花火大会ナイヤガラ

これは昭和大橋で上がったナイヤガラの写真です。
煙が多く、風向きの関係でよく様子がわからないと思われます。

090809新潟まつり花火大会エボリューション2
090809新潟まつり花火大会エボリューション3
090809新潟まつり花火大会エボリューション4
090809新潟まつり花火大会 エボリューション5
090809新潟まつり花火大会エボリューション6

こちらは最後に上げられたエボリューションです。
若干、スターマインには消化不良を感じていた為、最後のエボリューションには魅せられました。
比較は出来ませんが、打ち上げる場所の関係上、長岡花火のワイドさには勝てません。

でも、見学している方々がとても楽しそうだったので、良かったと思います。
来年は、屋形船で見れるように頑張る事を誓い、帰路に着きました。




090809天地人ゆかりの地西川町田中城址
偶然、よくテニスをするコートの近くにあった城跡です。
上杉家家臣のひとり、大関親憲は大関阿波守盛憲の子で天文15年(1546)浦佐城で生まれたと伝えられています。
天正14年(1586),親憲,上杉景勝から水原城(北蒲原郡水原町)及び水原満家の名跡を賜って水原城主となり水原常陸之介親憲と改名しています。
まわりは、現在畑となっていて上杉家臣としてめずらしい平城であったようです。
そして、写真の説明看板に書いてある越後善光寺にも近くであるらしく、足を延ばして見ました。

090809天地人ゆかりの地西川町善光寺説明看板
090809天地人ゆかりの地西川町善光寺山門
090809天地人ゆかりの地西川町善光字本堂

上杉氏家臣の大関氏の娘が授かったという長野の善光寺の本尊と、同体の木造善光寺式阿弥陀如来三尊像を安置してあるのが善光寺如来堂で、越後善光寺として知られているお寺です。
この大杉氏が、揚北衆の一人である水原氏となった事は、この史跡で初めて知りました。
やはり、自分の息のかかった家来達には、要所を任す。
そして、監視するポイトンには、それなりの人間を配置する。

こんな事を感じた史跡でした。





昨年の12月から約8ケ月で10,000HITの訪問を頂きました。
本当に心より感謝いたします。

約2年間、このブログを運用していて改めて気づかされた事は「にいがたが好き」という方々が非常に多いという事です。

色々な「好きなにいがたを元気にしたい」があるとは思いますが、このブログでは「行ってみたい・食べてみたい・会ってみたい」という気持ちを見た人が、持ってくれて行動に移す手伝いが少しでも出来たらなぁと思っています。

そのような行動の中で、新たに関心を待って頂き、消費や体験そして出会いに繋がればこんな嬉しい事はありません。

これからも宜しくお願い致します。


090805揚北衆加地氏藤戸神社鳥居
090805揚北衆加地城入口看板
090805揚北衆加地氏藤戸神社正面

揚北衆の1人佐々木加地氏の氏神である藤戸神社です。
景勝の時代に攻められ、廃城になったお城だそうです。
この神社の脇に登山口があります。

藤戸の由来は、佐々木盛綱が、倉敷沖の藤戸の合戦の際に、敵を攻める為に渡る浅瀬の秘密が漏れないように浦の男の命を奪い、その供養の為に創設したと言われています。

非常に小さく、駐車場もない神社ですが、何かを感じさせてくれる神社です。
090805揚北衆黒川郷土文化伝習館天地人コーナー
「御舘の乱」の際に、景虎側につき、景勝と戦った黒川氏に纏わる展示コーナーが黒川郷土文化伝習館内で展示されています。(2009年11月30日まで)
最後には、景勝に従い、会津、米沢と移り、上杉家の奉行職、城代として明治維新を向かえた士族だそうです。

090805揚北衆黒川氏信仰説明文
090805揚北衆賭け仏
090805揚北衆懸仏説明文
090805揚北衆 鰐口
090805揚北衆鰐口説明看板

黒川氏が信仰していたと思われは山岳修験道です。
そこで黒川氏が奉納されと言われる仏具の一種だそうです。

090805揚北衆黒川氏蔵王権現入口
090805揚北衆蔵王森林公園看板

この仏具を奉納したと言われる蔵王権現堂への入口です。
森林公園になっていて、ハイキングコースだと言われてはいますが、熊の看板にびびってしまい、ここ止まりで終わってしまいました。

事前にきっちりとした用意をして、次回に望みたいと思います。

090805揚北衆鳥坂城址入口
090805揚北衆鳥坂城址説明看板
090805揚北衆鳥坂城址板額御前説明看板
上の3枚は、魚津の乱で壮絶な最後を遂げた中条氏の居城と言われている鳥坂城址の入口の様子です。
ここも、事前の準備が必要です。
後、越後平氏の板額御前の活躍の地としても胎内は、有名だそうです。

090805揚北衆 胎内板碑看板
090805揚北衆板碑

これは、関沢コミュティセンター内にある「関沢の板碑群」です。
鎌倉時代~南北朝時代の武士が、一族の供養などを願って建てたものらしいです。

もともと同じ相模国の有力者である三浦和田氏を出白としている両氏ですが、あまり交わる事はなかったそうです。

時代により敵、味方に別れそして戦い、主を変える。
まさに戦国時代の生き方を地でいく両氏でした。

そして、その両氏を上手く活用して上杉家を存続させた上杉の懐の深さには、いつも関心させられます。

そんな事を感じた日でした。














090805揚北衆本庄氏耕雲寺山門
090805揚北衆耕雲寺本堂
090805揚北衆本庄氏耕雲寺説明看板
上杉家家臣であり、揚北衆の中でも最大勢力を誇った本庄氏ゆかりのお寺です。
応仁の乱以降、室町幕府は統制力を失い、地方の国人や豪族は戦乱に明け暮れ、それまで真言宗や天台宗が多かったが、この頃から有力武士との結合が薄れ、次第に衰退していったそうです。
そのころ、大名や武士に結合した曹洞宗が勢力を伸ばし、全国に信仰を広げて行きました。
耕雲寺(村上市)は、門前に庵を定め、教団背後を支え、法名を耕雲と称したのが本庄顕長と伝えられています。

090805揚北衆耕雲寺仁王像
090805揚北衆耕雲寺仁王像1

山門の前で力強く迎えてくれる仁王像です。
いつも思う事ですが、このような像から感じる「目力」にはいつも圧倒されます。

090805揚北衆熊野神社鳥居
090805揚北衆熊野神社境内

このお寺の隣にある熊野神社です。
いつものとおり、悲願成就のお願いをして来ました。

090805揚北衆耕雲寺森林公園看板
090805揚北衆耕雲寺森林公園周辺
090805揚北衆耕雲寺森林公園全体

このお寺の周辺は、上の写真の通り森林公園として整備もされています。
また、この地区は薬草の宝庫としても有名であるとの事です。

今年の9/5~村上市のおしゃぎり会館で、本庄氏を中心とした「天地人」との関わりをテーマとした展示がされるそうです。
揚北衆の中でも本庄には関心がありますので、必ず見学する予定にしています。





お盆が近くなり、お盆~体育日までの時間の経過が毎年早く、そこを過ぎると即年末という
時間の経過をここ数年経験しています。
今月は、前月に書いた「自分のやりたい幹の部分への取組」を、具体的に実行を始めました。

これもある方と話をしていく中で再認識した事ですが、

「大きなハードルを越えるには、一番避けて通れない事を優先的に実行する」

それが何より近道である事に気付かされました。

絡まった紐を解くには、「ポイントを第三者に指摘してもらう」
これに気付かしてもらった日でした。
090803長岡花火見物の場所

8/3(月)の2日目に大手大橋のたもと長岡駅の大口近くの場所で見学をしました。

090803長岡花火一発モノ
090803長岡花火一発もの開花前
090803長岡花火一発もの綺麗な方
090803長岡花火スターマイン開花

ここの場所は過去3年間で2回見ている場所であり、揚がる高さによって見えませんがスターマインは殆ど見える場所です。

090803長岡花火天地人くずれ

今年は天地人花火も揚がるという事で、楽しみにしてシャッターチャンスを待っていましたが、逃してしまって撮れたのが上の写真です。

開花した時に「愛」の字らしいものが見えたのですが、チャンスを逃してしまいました。

090803長岡花火フェニックス全体
090803長岡花火フェニックス開花全体

上の2枚はフェニックスです。
横幅の大きさのスケールには、いつも驚かされます。
それと揚がる場所の広さも広範囲に亘り、スケールの大きさには満足されられます。

090803長岡花火三尺球

これは三尺球の花火です。

音のでかさと花火の大きさには、また大変満足して来ました。
※これもシャッターチャンスを逃した1枚です。

090803長岡花火帰路につく人達
21時半ちょっと前に終わり、長岡駅の大手口方面に帰路に付く人達です。
昨日も大変な混雑で、長岡駅は多くの警備の方々出で交通整理に追われていました。
毎年、車で行って飲まずに帰っていますが、来年は是非、さじき席でお酒を飲み、出来れば当日泊まって、翌日帰るこんな長岡花火の楽しみをしてみたいと思います。

長岡の街がこれを機に盛り上がってくれる事を期待しています。


090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城址説明看板
090802天地人ゆかりの地妙高市 鮫ケ尾城址入口

御舘の乱で、上杉景虎が最期を遂げた鮫ケ尾城址です。
090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城址の全体
090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城址石碑
今は森林公園になっており、斐太遺跡も同時に見学する事が出来ます。

090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城本丸址

本丸址は、この看板あるところから徒歩で約20分登った○印のところです。
時間の都合で、登山は次回以降となりました。

090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城址説明看板歴史
090802天地人ゆかりの地妙高市景虎の手紙

管理棟の中に飾られている歴史と景虎の手紙です。
どんな気持ちで書いたのでしょうか?

どんな気持ちであれ、異母兄弟で争う事はお互い本望ではないはずです。

090802天地人ゆかりの地妙高市鮫ケ尾城址炭化の米

この管理棟に飾られている炭化した米の塊です。
御舘の乱の戦火で焼けたものとされています。

本当に歴史の重みを感じました。


この公園の直ぐ近くにある斐太神社です。

090802天地人ゆかりの地妙高市 斐太神社正面

こちらの神社は、平安時代初期の創建された歴史神社であり、上杉家の信仰の厚い神社だそうです。


この神社より車で5分ぐらい移動したところにある勝福寺です。

090802天地人ゆかりの地妙高市 勝福寺正面

このお寺には、景虎の慰霊碑と石碑があります。

090802天地人ゆかりの地妙高市景虎供養碑
090802天地人ゆかりの地妙高市景虎石像
石碑ではありますが、景虎の端正な顔立ちが印象に残りました。

090802天地人ゆかりの地妙高市立ての内説明看板
090802天地人ゆかりの地妙高市立ての内の畑

このお寺の隣にある「たてのうち」と呼ばれる周辺は、防御設備を備えた豪族や官史の邸宅があった場所だそうです。
平常時は、ここに住み、戦いが始まると鮫ケ尾城に移り、戦いの指揮をとったそうです。
今は畑になっていますが、陶磁器片など、当時の遺物が出土しているそうです。

兄弟で戦い、異国の地で最期と遂げ、26歳の若さでなくなった景虎のさわりだけを見る事が出来ました。

時代の背景があり、仕方はないとは、思いますが「もう少し後に生まれてきたら」景虎の生涯は当然違うものになっていたはずです。













090802天地人ゆかりの地妙高市関山神社周辺看板
090802天地人ゆかりの地妙高市関山神社正面

新潟県の妙高市にある関山神社です。
古くは、木曽義仲や上杉謙信公が戦勝祈願をした神社です。
本堂の中には、太平洋戦争で亡くなられた戦艦「妙高」の乗組員の方々の慰霊碑もあります。

090802天地人ゆかりの地妙高市関山神社妙高堂
090802天地人ゆかりの地妙高市妙高堂説明文

この神社境内の中にある妙高堂です。
上杉謙信が戦勝祈願の際に、妙高山の頂上に出向き、お参りをした阿弥陀如来像が祭られているそうです。


090802天地人ゆかりの地妙高市仏足石看板
090802天地人ゆかりの地妙高市関山神社仏足石

この神社近くの祠に奉納されている仏足石です。
お釈迦様の足の裏を自然石に描いたものです。
写真中央にうっすらと足の形が見えます。

上信越道の中郷ICから直ぐ近くで、車で15分ぐらい移動すると関・燕温泉のすぐ近くです。
妙高山を霊山と仰ぐ修験道の道場らしく、歴史の重みを感じる神社です。







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