天地人ゆかりの地を求め、米沢市へ行ってきた様子を記事にします。

上杉神社周辺が、元の米沢城址であり、色々な見学のコースがありました。

上杉神社は謙信公を御祭神として祭り、後に鷹算山公を合わせて祭ってある神社です。
この写真は、神社正面の入口であり、戦国武将の格好をした人が迎えてくれました。


中に入ると謙信公が迎えてくれています。
この謙信公家訓も色々なところで、見ていますが、またこの神社で改めて見ると教えられる事が沢山ありました。

この日はシルバーウィーク中ということもあり、大変な賑わいでした。
この列で並び、またまた悲願のお願いを謙信公にして来ました。



参拝を終わり、隣の稽照殿という宝物殿で、謙信公、景勝公、兼続公、鷹山公ゆかりの品を見てきました。
撮影は出来ないので写真はありませんが、この方々の甲冑は迫力があり、並んで見たかいがありました。

少し小高い丘を登ると敷地内に謙信公の御堂(お墓の跡)があります。
こちらは現在では、上杉家廟所へ移す前のものだそうです。
謙信公の魂は春日城~会津~米沢へと移って着ましたが、どんな思いであったのでしょうか。
生前でのゆかりはない土地で、来世を過ごす気持ちは、私のような凡人には理解出来ないところがあり、そんな事を強く感じた上杉神社でした。



上杉神社の直ぐ近くにある上杉伯爵邸です。
14代上杉当主 茂憲公伯爵邸として米沢城二の丸跡に立てられたお屋敷だそうです。
重厚な佇まいにりっぱな庭園が広がり、当時の伯爵という方々の様子がうかがわれます。


上杉神社の隣にある上杉博物館で開催されている天地人博2009の様子です。
こちらは、”かねたん”がお出迎えをしてくれていました。






これは、唯一撮影の出来た、謙信公、景勝公、兼続公の前立てです。
この中で印象に残ったのは、景勝公の前立てに毘沙門天の文字が入っている事です。
謙信公への強い思いが、この前立てにも表れています。

この博物館の裏にあるのが、直江屋敷址です。
現在では、一般住宅と駐車場になっています。
時代の流れを感じて初日が終わりました。