
「御舘の乱」の際に、景虎側につき、景勝と戦った黒川氏に纏わる展示コーナーが黒川郷土文化伝習館内で展示されています。(2009年11月30日まで)
最後には、景勝に従い、会津、米沢と移り、上杉家の奉行職、城代として明治維新を向かえた士族だそうです。





黒川氏が信仰していたと思われは山岳修験道です。
そこで黒川氏が奉納されと言われる仏具の一種だそうです。


この仏具を奉納したと言われる蔵王権現堂への入口です。
森林公園になっていて、ハイキングコースだと言われてはいますが、熊の看板にびびってしまい、ここ止まりで終わってしまいました。
事前にきっちりとした用意をして、次回に望みたいと思います。



上の3枚は、魚津の乱で壮絶な最後を遂げた中条氏の居城と言われている鳥坂城址の入口の様子です。
ここも、事前の準備が必要です。
後、越後平氏の板額御前の活躍の地としても胎内は、有名だそうです。


これは、関沢コミュティセンター内にある「関沢の板碑群」です。
鎌倉時代~南北朝時代の武士が、一族の供養などを願って建てたものらしいです。
もともと同じ相模国の有力者である三浦和田氏を出白としている両氏ですが、あまり交わる事はなかったそうです。
時代により敵、味方に別れそして戦い、主を変える。
まさに戦国時代の生き方を地でいく両氏でした。
そして、その両氏を上手く活用して上杉家を存続させた上杉の懐の深さには、いつも関心させられます。
そんな事を感じた日でした。