越佐こだわり通信

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091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社大けや木
091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社本堂正面

旧小出町にある神社です。
兼続公とお船らか゜立ち寄った様子が小説「天地人」に描かれているそうです。
素晴らしい大けや木の古木が立ち並んでいます。

091103天地人ゆかりの地小出諏訪神社ね越し石

この石は、「丹後跳ね越しの石」です。
 慶長五年(一六〇〇)八月二日、上杉遺民一揆の戦乱に下倉山城を守る城将小倉主膳の苦戦を救おうと、六日町の坂戸城から堀丹後守直竒が援軍を率いて駆けつけたそうです。
その時の破間川原の激戦中、丹後守は大石に身を寄せ、鉄砲で自分をねらい撃とうとしている敵兵を発見、真正面から立ち向かい、平安城という名槍を投げつけたそうです。
その時、同時に敵が発砲、丹後守の馬は大石の直前で竿立ちになり、石と敵兵を一跨ぎに
跳ね越した。
間一髪で敵弾はそれ、槍は敵の胸板を貫いて穂先は土に突き刺さった。
 のちに丹後守は村上十万石の領主となり、参勤交代の往き帰りに、「この石は、わしの命を救ってくれた石じゃ」と懐かしみ、馬で跳び越えてみるなどしたそうです。
 
時代は下って元禄の頃、丹後守の子孫堀左京亮が、先祖のほまれを刻むこの石を身近に置きたいと、運び出そうとして時、四日町の村人は、「この石は『丹後跳ね越しの石』と申しまして、馬の病気を治してくれる大切な石ですから、持ち出さないで下さい」
 と願いました。
その頃村人は丹後守をその法名「鉄団宗釘大居士」からとって「鉄団様」と呼んでいたが、この石のくぼみに大豆を入れて水に浸し、「南無、鉄団様、跳ね越し給え」
 と柏手を打って祈り、一晩おいて馬に食べさせると病気が治ったそうです。
子供の夜尿にも同様のまじないが行われてきた。
「そのような大切な石なら、川原に置いて洪水に流されでもしたら大変じゃ。神社の境内に運んで置け」 という堀左京亮の指示で境内に運ばれ、大切にされてきたものだそうです。


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