越佐こだわり通信

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20100211大栄寺山門
20100211大栄寺山門前の仏像
20100211大栄寺勝戦軍皇
20100211大栄寺本堂

新潟市江南区の北方文化博物館の隣にある曹洞宗のお寺です。

上杉家との関わりは、天正十五年三月に上杉景勝は春日山に出陣、後に蒲原に至り、水原周辺を攻めて八月に入り、本格的に新発田城攻略となり、翌月には落城し、新発田は上杉景勝の手に落ち、この時、ここの守護代の吉田刑部も亡び、この寺も次第に衰退していったそうです。
 慶長元年頃、魚沼郡上田、雲洞庵より、僧見哲が訪れ、満光院を得船寺と改め、雲洞庵の末寺として再興を図ったと伝えられています。

そして上杉家が会津に移封され、その後に新発田城に入った溝口公の次男が沢海に築城した場所です。
20100211大栄寺の如来像
20100211大栄寺の座禅堂の像

上は座禅堂の入口にある如来像です。
母乳を飲む子供が大変印象的で、温かみを感じました。
そしてこの像の裏にあるのが下の像です。
これは何と言う像なのかは知識不足で知りませんが、たちらも大変目力のある像でした。

20100211大栄寺のだるま

そしてこの上の写真は本堂の前に鎮座するだるまさんです。
最近、雪の中のお寺の静寂感とりこになり、多少上杉家の痕跡が残るお寺を巡っています。

ここは上杉家によって破壊され、そして再興され、そして破壊された歴史を持つお寺です。
時の権力者の中でお寺は、色々と変化をするものです。
時の流れの中で歴史を刻む歴史の重みを感じさせるお寺でした。

20100211大栄寺近く沢海代官所跡

そしてこのお寺の近くにある沢海代官所の跡です。
上杉家の出入りで影響を受けた場所が旧横越町にもありました。





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